「読者の代表」としての書店員。メモ書き。

まだ思考中。まとまっておりません・・・。まとまった原稿は別のところに載せようかと。


先月のINCで某書店店長が怒っていた。新刊のダンボールを開けたら、中から「全国の書店員が熱狂!」とデカデカと書かれたオビが着いており(ちなみに商品はコレ)「知らねーよ、オレは熱狂してねーよ!」と怒った店長は版元にイヤミの電話をかけたそうだ。ま、たしかにこの本、新人作家ながら出版社側も力が入っていて、簡易製本したものを相当いろんな書店などに配り、あらかじめ感想を募っていた。それなので発売前に数多くの感想を手に入れていたという次第だが。


最近、新聞広告を見ていると「書店員のコメント」が多いことに気づくだろう。私も意図的に書店から感想を集めたことがある。今や書店員絶賛のコメントは、映画における「全米No.1!」「ピーコも絶賛!」と同じくらい当たり前の宣伝文句となっているのだ。書評家の権威が落ち、「朝日新聞に載ったから何万部増刷」なんてことはありえなくなってきた現在。


しかし、ただでさえ忙しい書店員――しかも、コメントを求められるのは名の通った大型書店ばかりなので激務もひとしおだ――にコメントを求めるゲラが殺到し、すべてに目を通すこともかなわない、という状態が起こっているのも事実だ。私もあるミリオンセラーを演出したということで有名な文芸書担当の人に推薦コメントをお願いしようとしたら「いま順番3社待ち」といわれたことがある。書店員としての技能と、味のある推薦コメントを書ける技能は別だ。出版社もこぞって「うまい人」に推薦文を頼むようになる。かくして、一部の才能ある有名な人が<プロの書店員コメンテーター>としてますます有名になっていく。


大きな書店では一日に100種類以上の新刊が入荷されてくる。すべてに愛情持って、内容を見て売ることなんかできやしない。「書店の仕事をするようになってから読書量が減った」とは多くの書店員が口にする台詞。それでも自分は、「読者の代表」「本に知識のある人間」として、書店員という存在を信じたいのだが。今やアルバイトの比率が一気に増えた圧倒的多数のフツーの書店員にそれを期待するのは無理なことなのか。


「本」という商品ほど事前のマーケティングが行われないものも珍しい。委託販売がまかり通るこの業界ならではだろうが、基本的に出版社は「初回は見本配本」という意識を捨てきれない。初回売れたり注文が来て初めて「あぁこの商品はイケるな」と判断して宣伝を打ったり重版して注文書を作ったりする。何もしなくてもある程度の本が売れてる時代はそれでもよかったんだろうが、ようやく出版社も「発売前に種まきしたり調査したりする」ことが重要だということになってきた。その矛先としては、現在オカネもかからない(評論家に比べると謝礼だって少なくすむだろうから)書店員に向かっている。


ただでさえ「ほしい商品が手に入らない」書店、本来重要なシゴトは正確かつ迅速な商品調達であるべきなのは間違いない。そんな中でPOP書きやコメント作成といった側面ばかりが目立つからという理由で持ち上げられる、出版社も「あの店はPOPを書くからイイ店だ」「あの店はPOPを書いてくれないからやる気ない」なんてことを言う。「本が売れない」時代、本質的な問題は書店員のやる気や店頭装飾能力のなさにあるのだろうか。


そういえば朝の情報番組「とくダネ!」で小倉智明が褒めた本やCDはバカ売れする、という現象が相次いだおかげで、今や番組宛、小倉宛には多種多様な新刊が送りつけられているという話を聞いたことがある。こちらにもか。